ウチの娘は、中学校でも支援級(知的障害クラス)に入学しました。
娘は小学校の大半を不登校で過ごしたため、最初は授業が新鮮だったようですが、徐々に慣れるにつれ支援級の有難みよりも苦痛を感じるようになり、2年生の冬に不登校になってしまいました。
というのも、支援級の授業というのは通常級の授業内容と大きくかけ離れていて、合わない生徒にとっては授業を受ける意義を感じることが出来ないからなんですよね。
そこで今回は、娘の通った中学校の知的障害学級における授業内容を中心に、どの辺が合わなかったのか等について詳しくお話しします。
知的障害学級の授業内容は?
知的障害学級の場合、「授業内容は通常級と異なる内容にすることができる」という定めがあり、学校によってかなり内容が異なると思います。
ここでお話しする内容は、あくまでも娘が通った中学校の支援級の授業であり、他の中学校と異なる部分もあると思います。以上ご了承ください。
教科について
全教科のうち、ほとんどの教科は3学年全体(常時登校人数は12~14名程度)で行いますが、国語と数学だけは個別指導が必要なことから、少人数クラス(1クラス約4人)で行います。
その少人数クラス編成は生徒の特性や習熟度をある程度考慮してバランス良くなるようにしたのかもしれませんが、肝心の授業内容は個別のレベルにきちんと合っているわけではないので、この点ではかなりガッカリしました。
ちなみに、授業の時間配分は、少人数クラス全体で行う課題と個別課題の時間を分けるケースもあれば、完全に個別課題のみのケースもありますが、このあたりは担当の先生によって異なります。
国語
担当している先生によってやり方が異なるのですが、部首かるたを使って漢字を覚えるのを中心に授業を行う先生もいれば、先生の話した言葉を聞き取ってノートに書く、というような授業を行う先生もいました。
娘の中学では、先生の判断で少人数クラスの生徒に合うと思われる授業を行っていたようです。ただ、娘の場合は

先生の話した言葉を聞き取って書く、って何の意味があるの?
全然勉強になってないじゃん。
と言っていました。
聞きとる内容が「ノート」とか「テレビ」とか、通常級なら小学校1年生で聞きとれる単語なんですよね(-_-)
数学(というより算数)
数学では、支援学校で使う教科書(通常級なら小学校1~2年程度のレベル)の問題を解いていくクラスもあれば、実際に指定された水の量を軽量カップ等を使って量ったり、道具選びを自分で行って机の長さを測るなど、身近な生活における数字を意識させるクラスもありました。
数学が実際の生活に身近な存在であることを意識させたかったのかとは思いますが、国語と同様に、通常級における勉強とは全く異なる低レベルの内容でした。娘は処理速度が幼稚園児並みなので、問題を解くスピードが遅いのですが、それでも理解力はあるので、新しい学びが無くて授業をどう受けて良いのか分からず戸惑っていたようです。
英語
英語は、1年生が1クラス、2~3年生は合同で授業を行っていました。1年生はアルファベットをまだ覚えていないので、1学期の間はこれを中心に学習し、それと並行して身近な英単語に触れるということで、学校や駅ビル、商店街の店舗などを写真で紹介しつつ、「bekery」「fried chicken」「station」等を見て意味を考えたりしました。
(通常級ならアルファベットはササッと覚えて終わらせてどんどん学習を進めていくのでしょうけど、支援級では1学期の終わりまでずっとアルファベットをやっていたし、2学期初めの時点でも覚えていない生徒がいました。)
2学期以降は英語の歌を歌ったり、挨拶、自己紹介などを行ったり。また、月に1~2回ネイティブ講師が授業をしてくれることもありました。
娘の場合、ローマ字に対して苦手意識があったので、中学の英語の授業でもなかなかアルファベットを覚えられず書けず、授業を楽しむことができなかったようです。また、娘は声が小さいし、人前で話すのが超苦手なので、英語のように、すぐに「リピート アフター ミー!」と指示されると頑固に口を閉ざしてしまうので、一人で授業中浮きまくっていました(-_-)
英語に関しては、付き添い登校して傍で見た限りでは、娘は全然授業を受ける気がなく緘黙状態で、授業を受けても意味がないのではないかという雰囲気でした。あまりの酷さに、個別指導塾で授業を追加で受けるようお願いし、そこから英語を勉強するようになっていきました。
社会
社会は3学年合同で授業を行います。地理、日本の歴史、公民を1年毎に入れ替わり行うので3年間で全て学習できます。
ですが、これも授業をする先生次第なんですよね(1年と2年で社会の担当が変わり、ギャップが大きかったです)。全範囲を網羅する先生もいれば、そうでない先生もいました。まあ、内容も生徒に分かるレベルで行うという感じであり、基本は「生徒が楽しんで授業を受けられるレベル」です。
ちなみに、娘の場合、地理は1年間で沖縄から北海道まで各都道府県の名産や名物などをサラッと学びました。先生はYoutube動画などで各地の踊り(阿波踊りやねぶた祭り等)を紹介してくれたので、クラスの生徒は結構楽しんでいました。(娘はあまり興味がなかったようで、ボーッとしていたようですが。)
ですが、歴史については範囲が広いし、分かりやすさを先生が突き詰めた結果なのか、なぜそういう歴史の流れになったのか理屈をクラスで考えたり、実際に着物を着てみたり・・・ということを行った結果、1年間かけたのに歴史の教科書半分以上残ってしまいました。
(途中で不登校になったため、実際にどこまでの範囲が終わったのかは不明ですが、11月末の時点でまだ古墳の内容を学習していました。)
娘は時間感覚に凹特性があるので余計に(時間の経過を辿る)歴史という授業に対して興味を持てず、授業中ぼーっと過ごしていたようです。
理科
理科は、理科室での実験が中心でした。
ただ、学校行事などがあると、その前後の授業では関連した内容の授業を行うことが多かったです。理科も身近な存在なんだね、ということを実感するよう先生が考えてくれたようです。
例えば、運動会やマラソン大会の前は、速く走るためにはどうしたら良いか、人の体の筋肉の動きなどに注目する授業を行ったり、宿泊学習で富士山の方へ行く際には、火山の噴火について学習したりしました。
多くの生徒はとても興味を持って学習していました。娘も理科の実験は好きなので、引っ込み思案ながらそれなりに授業を受けていた様子です。
体育
体育は、ある意味知的障害学級では重要視している授業でしょう。小学校の支援級でも言われましたが、

支援級は就労に向けた授業を行います。就労のためには体力作りがとても重要なのです。
こんな感じなんですよね。
そして、娘の中学では週4回、一時間目に体育を行い、体力作りをします。一時間目というのも、朝に体を動かして脳を活性化させる目的があるのだとか。
また、中学の支援級では1年に1回マラソン大会があるので、それに向けて走れる距離が伸びるよう努力していくのです。
でも、娘の場合は小学校でも「続けていれば長い距離を走れるようになる」と言われたけどそうはならなかった経験があったので、全く期待していませんでした。そして、案の定、本番のマラソン大会でエントリーするのは一番短い1km走であり、ほぼ競歩状態で本番を終えました。
それでも、本人なりに頑張っていたので参加したことに意義がある、という感じでしょうか。また、走らず歩くだけでも「頑張っていると認めてもらえる」のは有難いことでした。
また、走る以外の授業としては、ボール競技(ソフトバレーやサッカー、バスケットボール)が多かったです。でも、娘の場合はボールが飛んでくるのが怖いので、生徒同士のキャッチボール的なことが一切できず、介助員に配慮してもらいつつ、出来る範囲での参加となっていました。こういう部分で配慮してもらえるのはすごく有難いなあと感じました。
家庭科
家庭科では、調理や刺繍が中心でした。通常級の裁縫だとパジャマやスカートなどを作るのでしょうけど、支援級の場合はそういう難易度の高いものでなく、簡単で集中力を養えるものとして刺繍を選んだようです。(こういうのは学校によって異なると思います。)
刺繍は、針の持ち方を知らないような生徒が多いため、最初は針の持ち方、使い方、糸の通し方や扱い方などの説明があります。生徒は皆、最初戸惑っていますが、介助員も数名サポートしているし、刺繍のパターンが決まっているので何度か取り組むうちに、自分で作業を進められるようになっていきます。そして、1年間通して作り上げた作品を、学校の作品展で発表する流れになります。
また、調理実習では毎年同じメニュー(十数種類)を作るので3年間で3回ずつ作ることになります。ですので、1年生の時には戸惑っても、3年目になると率先して出来るようになるようです。そして、卒業前には調理実習のテストとして、1人でカレーを作るという課題があります。
じゃがいもはピーラーでなく包丁を使うので難易度が高いのですが、全員がこれを通過するとのこと。
我が家の場合、調理実習の日は(とある「こだわり」により)毎回休んでいたし、3年目は不登校突入してしまったため、一度も調理実習に参加できず。そして、未だに怖がりで包丁での皮むきができないままです。とても残念な教科になってしまいました。
その他、家庭科では「ごみの分類方法」を学んだり、栄養素を考えた献立作成などの授業もありました。
技術
技術では木工作品を作ります。(こういうのも学校によって異なると思います。)
支援級の講師は比較的穏やかな先生が多いようで、技術の先生は優しい60歳過ぎ(?)のおじいちゃん講師でした。
普段は心優しく、生徒1人1人の良さを見ながら指導してくれるのですが、「技術=危険を伴う道具がある」ということで、最初の授業ではその危険性を周知させるべく細かい説明をしてくれたし、それをうっかり忘れて教室内を走り回ったりすると、ビシッと叱られます。
娘は体幹が弱くて力も小学生低学年並みなので、のこぎりやカンナによる作業が人の2倍以上かかっていましたが、それでも丁寧に指導してくれたし、「作業はゆっくりだけど、すごく丁寧で真っ直ぐに削ることができているのが良いね」と毎回褒めてくれていました。
他の生徒もそれぞれの良さを引き出しつつ、個性あふれる作品作りをさせていたので、この授業はとても安心して受けていたようです。
生活
生活は、パソコンと栽培の2種類がありました。
パソコンではローマ字入力に慣れ、文字入力の練習をしたり、Wordで簡単な看板やカレンダーを作成しました。
また、栽培は、草むしりが多いのですが、栽培の基礎である「道具の名前を覚えること、土おこし」などから始まり、種や球根から育てたり、苗から育てるものもありました(チューリップ、ひまわり、パンジー、茄子、トマト、大根等)。実が成る植物の場合には、調理実習に使うこともありましたし、持ち帰る野菜もありました。
美術
美術はチョークアートや版画、簡単なデッサン、粘土細工などを中心に行うのですが、基本的には運動会や学習発表会、作品展用作品など、何かしらの行事へ向けた作品が中心でした。
音楽
音楽の授業は毎週3時間あります。春のうちから秋の音楽会の準備を行い、合奏や合唱の練習をしていくのでかなり熱心にやっていました。ただ、娘は声を出すのが苦手なので口パクかと思われるような感じでしたね・・・。それでも、支援級ではテストも無いし娘の苦手さを理解してもらえているので問題なく過ごせていました。
書写
書写は週1回あり、毛筆や硬筆を半々の割合でやっていました。
この科目は先生の指示や工夫が行き届いている科目で感心しました。
というのも、毛筆では墨汁を使うため、机やジャージ等を汚しやすいですよね。それを防いで効率良く授業ができるよう様々な工夫があったし、生徒の作業をルーチン化していたのです。
書いた作品を汚さず散らかさずに保管しておくオリジナルのファイルを用意し、1枚書くごとに各自収納していくことや、片付けの際には筆を洗うバケツを用意しておき、洗ったらバケツを次の人のためにきれいに洗ってくる等、1つ1つのルーチンが用意されていました。
もちろん、うっかり忘れる生徒もいるので、書写の授業では介助員が1~2名いて常に生徒が困らないようサポートしてくれていました。
このように、生徒のレベルの差がなくてルーチン化しやすい授業の場合、授業がスムーズに回るし介助員のサポートも効果的になるのだと思います。
総合
総合という教科は、付き添い登校して見学する側からすると分かりにくく印象に残りにくい教科でしたが、「掃除」「学級目標の作成」「校外学習の係決め、話し合い」等、必要な行事の事前準備や補完授業として使われることが多かったと記憶しています。
支援級の授業で驚いたこと
支援級(知的)は通常級と違うとは聞いていたけど、実際に授業を目の当たりにすると様々な部分で驚きました。特に気になったのは以下の通りです。
・行事が多い
・作文を行事のたびに書かされる
・生活面での指導が多い
主要5教科の勉強時間が少なすぎる
支援級(知的)では、主要5教科の授業時間数がとても少ないのです。
学校によって異なるとは思いますが、娘の通った中学では、1週間の授業数が以下のようになっていました。
数学 3
理科 1
社会 1
英語 1
しかも、知的障害学級では校外学習や支援級内輪の行事、市内の知的障害学級との交流などの行事が多いので、この中から削られる授業もあるし。
そして、既にお話ししたような次元の学習しかやらないので、新しい知識を得る時間というのは皆無に近い状態です。
行事が多い
行事が多いので、数少ない授業時間が更に減るのですが、行事のための勉強や、行事を終えた後の振り返り学習にかなりの時間を割いていました。
行事に向けて事前学習が多かったのは、本番できちんと行動できるよう理解を深める目的と、本番でパニックを起こす生徒の回避策があるかもしれません。(娘の場合、こだわりと苦手な物事が多いため、トラブル回避目的で事前学習とは別に、先生と個別で事前確認を行っていました。)
また、通常級の生徒なら自分達で考えて準備計画するけど、支援級の場合は先生が介入しないと出来ないしやらない、という理由があるのかもしれません。そして、振り返り学習をすることで定着を図るという理由もあるのでしょう。
作文を行事のたびに書かされる
行事が多かったのは仕方ないと思うのですが、それ以外に(娘が)苦痛だったのが、行事のたびに書かされる作文でした。支援級の生徒にとって作文はかなりハードルの高い課題なのですよね。でも、だからこそ必要と考えるのか、行事を終えた後の国語の授業は必ず作文を書く課題になります。作文は1回では終わらず、4~5時間程度費やしていました。
娘の場合、入学当初は鉛筆を持って文字を書くことに抵抗があったところからのスタートだったのですが、なんとか意欲を持つようになり、短いながらも書いていく努力をしました。
ですが、何を書いてよいのか分からないので、先生が個別巡回する際に、2人で行事の写真を見て思い出しつつどんなことをやったのか、等をメモして、それを繋げて文章にする作業を行っていきました。1年間かけて、かなりのスモールステップで取り組めるようになったようです。
まあ、作文を多少書けるようになったのは良いことですが、その反面、行事の都度作文の授業になるので、1年間の国語の授業の約半分が作文書きの課題で占められてしまうのです。これで作文に対する苦手意識が無くなれば良かったのですが、娘の場合、まだまだ、何を書いたら良いのか分からず、先生のサポートがないと進められない状況だし、

また今日の授業も作文?何を書いたら良いのか分からないのに困るなあ。
と授業の都度私にこぼしていたので(付き添い登校しているので、愚痴は全て母が聞くことになります)、学校でのこういう授業はあまり娘にとって納得できるものではなかったのだな、と感じました。
生活面での指導が多い
生活面での指導で気になったのが以下のことです。
・歯磨きタイムがある
・昼食に使う道具は自分で用意する
・毎日連絡帳を書いて、忘れ物をしないようにする
毎日学校で着替えを行い、ジャージで授業する
娘が知的障害学級や支援学校を嫌がっていた一番の理由は、ジャージで授業を受けることでした。
支援級(知的)や支援学校の場合、日常生活面での支援が必要な生徒もいるということで、生活面での指導がかなり細かくあります。そして、ジャージで授業を受ける理由としては、制服を汚さない目的があるからなのですが、それとは別に、自分で着替え、服を片付けるという課題があるからなのです。
また、それに加えて、娘の通った中学ではジャージや体操着は風呂敷を使って持ち帰るというルールもありました。服は全てきれいに小さくたたんで、風呂敷にギュッと入れて結びます。そして、それをリュックに入れて登下校します。
でも、体幹が弱くて握力や腕力が弱い娘にとっては、ジャージと体操着をたたんだ後にギュッと小さくして結ぶという作業が苦痛なのです。
小さくたたむのが大変だろうな、と予想していたので、風呂敷はかなり大判のものを用意しました。最初は可愛い柄の模様で娘の気を惹いたのですが、綿100%だったせいか布の滑りが悪くて小さくまとめることが難しい。そこで、ポリエステル系の大判風呂敷を買い直したのですが、滑りが良くなったにも関わらず、その時点ではもう嫌気がさしてしまい、風呂敷を使うことを拒否するようになりました。
最終的に、先生方に相談して「風呂敷は使わず袋でもなんでもOK」「通学リュックとは別の袋にして通学してもOK」という特例を認めてもらいましたが、徐々に拒否がエスカレートし、ジャージに着替えることさえ嫌がるようになっていきました。
(娘の支援級では、荷物はリュックのみが原則で、体操着を別の袋などで持ち歩くのはNGと言われていたのです。)
そして、毎朝と帰宅時に着替えることも「面倒臭い」と嫌がっていました。更衣室で他の女子生徒と一緒になるのが嫌だったり、着替える際には教室の窓側のカーテンと通路側のカーテン、着替える場所のカーテン合計3ヶ所のカーテンを開け閉めしなければなりません。そして、通路側のカーテンはその都度机の引き出しに片付ける必要があり。
とにかく、1つ何かやる際に、あれもこれもやらなければならないのですね。
このように、ジャージで授業をする、というだけなのに、付随して様々な課題があり、そこに娘の苦手な作業が絡んでくるので娘にとっては苦痛だったようです。
歯磨きタイムがある
また、昼食の後は歯磨きタイムがあります。
ただ、娘の場合は学校の水道が嫌だったことや、長時間授業を受ける体力がないことから、午後の授業は受けずに帰ることが多く、学校で歯磨きをやったことはありません。
昼食に使う道具は自分で用意する
昼食で使う箸やナプキンは、自分で前日に用意してリュックに入れ、当日使った後は自分で洗って片付ける、というのが課題の1つになっています。
毎日連絡帳を書いて、忘れ物をしないようにする
支援級では、学校で必要な物を自分で準備する習慣をつけるため、朝や帰りのHRの前後の時間を使い、連絡帳の記入をします。
これらは全て先生がチェックし、漏れのないようにしています。
この連絡帳には宿題を書く項目もあり、ハブラシや箸、ナプキン、体操着、ジャージなども毎日記入していきます。
クラスの生徒を見ていると、ほぼ全員、違和感を抱くことなくスムーズに記入していてすごいな、と思うのですが、なぜか娘はこういうものの記入もすごく嫌がっていました。後になってその理由を聞いたところ、

だって、書いたって意味ないし。
忘れ物だって、自分には関係ないものばかりだったし。
(↑さぼる宿題も色々あるので)
物を探して準備して・・・という作業が嫌。
という話でした。
さいごに
ということで、知的障害学級の先生方の考え方だと、
という話でしたが、生活面での指導内容は、娘に抵抗感や拒否という感情を強化させるだけに終わったようでした。
そして、娘のように「新しい範囲の勉強がなく、生活面の指導は拒否する」という場合は哀しいことに、支援級で学ぶ意義を失うことになるのです。
今回ご紹介した娘の反応は正直言ってレアケースなのかもしれません。ここまでいろんな授業に対して拒否する生徒は少ない気がします。でも、娘の場合、こうして振り返ると、やはり支援級のような学びの場は合っていなかったのだなあと実感しました。
とはいえ、娘の通った中学校でも先生方は真面目に対応してくれたし、学校の支援に対する方針の中で真剣に対応してくれ、良かったと感じる授業もありました。支援級も学校によって異なるし、知的障害学級に通う生徒も1人1人異なります。疑問を感じることなく楽しく過ごせる生徒の場合には良い場所なのでしょう。
コメント