発達障害で母親に執着する場合の子育てってすごく大変ですよね。
発達障害は1人1人特性が異なるので、当然、家庭によって困る場面も全く異なります。
我が家の場合は娘の特性で一番大変だったのが、母親への執着でした。
小学生で不登校になった以降は更に状況が悪化して、24時間監視されているような生活が数年間続きました。
そのため半分ノイローゼ気味になったのですが、とあるきっかけで気持ちを立て直すことができ、自分も娘も精神的に成長することができました。
今回は、母親に執着する子供への対応について、
・どんなことで困っていたか
・どう解決したか
・成長するための意外なポイント
など、我が家のケースをお話しします。
発達障害児が母親に執着して困ったこと
母親への執着にもいろんなパターンがあると思いますが、我が家の場合は以下のような流れで年々酷くなっていきました。
- 0歳児の頃から母親が離れると大騒ぎする傾向が強かった。
- 何でも母親にやらせようとする。→子供は自分でやりたい気持ちと不安がせめぎ合いながら成長していく、と言われていますが、我が家の場合は物心ついた時からすべてが「不安」だったので、自分でやりたい気持ちよりも、全てを母親にやらせる行動が多かった。
- 傍にある物を取りたいときは、必ずといっていいほど母の手を握って取らせる、という、「クレーン現象」が非常に多かった。
- それでも、幼少期はさほど執着されていなかった。
執着しはじめたのは、東日本大震災で私が帰宅できずに1日離れ離れになってしまった後から。 - その後は、母親から離れるのが不安で幼稚園の行き渋りが酷くなり、おかげで仕事も満足にできなくなり退職。
- でも、小学生になっても友達ができないし、興味がない。
小学校よりも、母親の行動を全て把握していないと気が済まない、という意識ばかり膨らんでいった。
発達障害児の母親は鬱になりやすい?
発達障害児がいると、母親は一人で子供の対応をしなきゃいけないことも多いし、日々様々な問題が起こるし、ややこしいので誰かに相談する、というのが難しいですよね。だから、母親は孤独で精神的ダメージを受けやすいです。
我が家の場合も私一人で抱え込むことになってしまい、しかも、娘のような特性の子が周囲にいないので誰にも理解してもらえない。専門機関をあちこち探し求めましたが、それでも日々発生する問題全てを相談できないし。だから、精神的にかなり参ってしまいました。
というのも、不登校になってからは更に状況が悪化して、娘に24時間監視されているような生活が数年間続いたからです。
「監視」の具体例を挙げると、
・母宛の郵便物は許せないので自分の名前を書いて、自分で開封してしまう。
・母が電話する会話が気になるので「スピーカー」で話して娘が相手の話まで聞かないと気が済まない。
・・・というように、昭和時代の「嫁と姑の関係」を娘と真逆でやっているようなイメージでした。
これが何年も続いたことからかなり気が滅入ってしまい、いろんな機関やカウンセラーなどに相談したところ、
とアドバイスを受け、真に受けて病院に相談しに行ったこともあります。
この時には本気でその選択肢を考えてかなり大きい病院の精神科へ相談しに行きましたが、幸か不幸か、
と言われて断念しました。
発達障害児の母親の子育て 解決へのきっかけ
不登校が続くし、心底頼りにしていた病院でもお断りされてどん底状態だったのですが、これを脱却できたきっかけもこの後にありました。
それは、以前の記事でもお話ししたのですが、
・そこで出会ったメンターの存在
この2つが非常に大きなきっかけでした。
これまで、娘にとっては世界は「自分とお母さんだけ。あとは全て未知で恐怖の存在」だったのですが、安心できる場所と人に出会ったおかげで、安心して周囲を見ることができるようになったのです。
参考記事→不登校で保健室登校が駄目だった理由。対応してくれた小学校との違い。
発達障害児の成長過程
安心して周囲を見られることが何に効果的かというと、母親以外のことに興味を持つようになることなんですよね。
娘にとっては、この学校と出会った人々が心の土台になっています。将来、このメンター達のように勉強ができるようになったり、学校へ通ったり、将来どんな仕事をしているか、などのイメージを漠然と思い描くようになったのです。
また、それまで無頓着だった服装などにも気を配るようになり、大人っぽく見られるようになりたいという願望が湧き、自分なりに工夫するようになりました。
ただ、約5年経過した今も母子分離不安は続いています。
ですので、未だに一人で行動することが出来ない状態ですが、1~2時間など時間を区切って私が所在を明らかにすれば、離れることもできるようになっています。
高校での勉強も、信頼関係のできた先生だったら一人で授業を受けたり、分からないことを質問して理解できるようになっています。
このように、世間一般の同世代の子供と比べると娘の成長は遅いのでしょうけど、今は母親である私自身が娘の成長を感じられるようになったので5年前のどん底とは全然違います。
何が一番成長したかというと、娘なりに前向きになり、自分自身で物事を考えられるようになってきたことですね。
発達障害児が成長するための意外なポイント
発達障害児が成長するためのポイントは、やはりこれも子供によって1人1人異なるでしょうけど、共通することもあると思うのです。
我が家の場合で一番重要だったのが、
安心感(母親以外の安心できる人、場所の存在)
です。
ただ、我が家の場合、実は、これだけではないのですよね。
後になって気づいたのですが、
子供と母親の関係のやり直し
というのも非常に重要な課題だったのです。
家庭によって異なるでしょうけど、我が家の場合は私自身が実の両親との関係が良いとはいえませんでした。なので、早く結婚して家庭を持って、親とは違う「良い家族関係」を築いていきたい願望がありました。
でも、いざ結婚して子供を産んでみると「育てにくい子供」で、子育ての大変さを日々痛感しました。そして、3歳になる前に療育センターに相談して受け入れてもらい、4歳で発達障害と言われて育てにくい理由がわかり、腑に落ちてある意味ホッとしたものです。
とはいえ、その後も療育に通っても思うような成果が得られず娘の成長を全然感じられずに、

子供と一緒にいるよりも仕事の方がずっと楽!もう嫌~!
という思いがあり、気持ちがずっと逃げていたのです。
言い換えると、『療育に通っていれば、年齢が上がれば、自然に成長してくれるだろう』という他人任せの子育てでした。
今思うと、私の当事者意識の無さが、余計に娘の成長を妨げていたんだろうな、とは思います。
でも、自分が育った家庭は両親とも全て他人任せの人生のようなものでした。(昭和一桁台の人間ってそういう人が多いのでは?)
だから、そんな親に育てられた私にも自分で責任もって子育てするという行為が分からなかったのです。
そして、不登校で病院への入院も断られて精神不安定になったのですが、娘を受け入れてくれる学校に出会い、メンターに出会ったおかげで娘の気が私から逸れたこともあり、いろんなことを見直すことができるようになりました。
そして、メンターとの出会いは娘だけでなく、私にとっても非常に大きな学びになりました。
メンターが娘の癇癪場面に遭遇したときの対応方法から、「ああ、こうやって癇癪に対応すればいいのか!」という感覚が理解できたのです。
発達障害の子育て本を見ると、「正の強化や弱化、負の強化や弱化などの使い分けが大切」という理論的なことは多く書かれていますが、それだけ読んでも具体的にどうすれば良いのか、が分からないのですよね。
それが、実践的やり方を生で見せてもらえるのです。
恐らく、メンターの方々はそれを目的としていた訳ではないでしょうし、私がそれをじっくり観察して分析しているなんて想像していなかったかもしれませんが、私にとっては実践的な学びになっていきました。
今はいろんな機関でペアレントトレーニングを学べるようですが、10年以上前の片田舎では学ぶ場所がほとんど無く。その後数回学ぶチャンスがあったものの、母子分離不安が酷くなったせいで娘が私から離れてくれずにペアレントトレーニングをきちんと学べずに今に至ってます。
でも、娘は「発達障害の中でも珍しい特性」とどこでも言われるようなレアな特性らしく、型にはまった勉強よりも、実際に娘の癇癪場面でどう考え対応していくか、という内容を見せられた方がずっと勉強になるのですよね。
そこで学んだ基本は以下のようなことでした。
こんな流れでしたが、癇癪は一度出ると鎮まるまで数十分かかることもあります。
でも、メンター達は、その間辛抱強く付き合う、というか、待っているんですよ。
イライラすることなく、とても冷静で、かつ、娘のことを温かく見守ってくれる。
そんな姿を何度も見ているうちに、

ああ、子育てって、こういう寛容さが必要なのね!
と分かってきました。
物事の理解は人それぞれでしょうけど、私の場合は理論よりも全てが皮膚感覚、脳内感覚で理解する性質なので、このことに気づいてからは、メンターと接している間はすべて感覚を研ぎ澄ませて自分の体に入れるよう努力したものです。
そうしているうちに、今まで自分に無かった「寛容さ」が、自分の親にも無かったし、だからこそ実家との関係が嫌だったんだな、と分かりました。
そして、娘と自分との関係においても、娘を丸ごと受け入れる、という感覚を少しずつ積み上げていけるようになりました。ある意味、「子供に育てられた」のです。
娘が生まれた瞬間までは、良いお母さんになりたいなあ、という漠然とした希望はあったけど、後から考えると、全くイメージ出来ていなかったのです。
だから、生まれた瞬間から、

どうやったら上手に抱っこできるのか分からない!
どうやったら泣き止むか分からない!
どうやったら一人で歩きだしてくれるのか分からない!
などと困っていたし、それに気を取られていて娘との信頼関係が全く出来ていませんでした。
そんな酷い状態でしたが、娘を丸ごと受け入れるという感覚を養ううちに、信頼関係というのはこういうものなのか、という感覚が自然に生まれ、少しずつ大きく膨らんできたのでしょう。
気付いたら、私の両親との関係も昇華してたようで、以前は毒親だと嫌悪していたはずなのに、今は普通に会話できるようになっています。
発達障害児で友達いない場合は母親との関係からリスタートしよう!
以前の記事で、発達障害児で友達いない場合についてお話ししていますが、友達作りの前に、母子関係の改善でも社会性を培うことができるのですよね。
むしろ、母子関係が大前提となって、学校などの集団に入ったり、友達を作ったり、ということができるようになるのです。
我が家の場合、未だに同世代の友達には興味がないようですが、これを理解してからは無用な心配をしなくなりました。
まずは、家庭内で、
・自分の気持ちを周囲に理解してもらえるよう伝えたり、
・相手の言葉や気持ちを理解して受け止めたり、
ということができればいいな、と。
そして、そのためには、母親自身が安心できる環境を整えることが大切。
自分が安心していれば、ありのままの子供を受け入れられるものです。
そして、子供は「お母さんの傍にいると安心できるし、色々お母さんと話したい」という気持ちに自然になっていくはずです。
参考記事→発達障害で同年代と遊べない場合に社会性を育てるのは不可能?
さいごに
発達障害で母親に執着する子供への対応は難しいし、本当に大変です。
だから、信頼できる専門家など第三者に相談したり、介入してもらたいものです。
ただ、第三者に介入してもらっても、全て他人任せで解決できるものではありません。やはり「自分で解決しよう」という前向きな気持ちは必要です。
我が家の場合は長い年月かかりましたが、発達障害児の子育てによって私自身の未発達部分に気づかされ、娘を育てつつも、日々私自身が育てられている感覚があります。
娘の執着は以前よりも減ったけれど、まだ残っていることも多々あります。それでも、「なぜ?」と考えていくと、私の心の中の我慢や変な思い込みが原因で娘を勘違いさせてしまった、などということもあり。
これを見直していくことで私も娘も軌道修正して一緒に成長している状況です。
そして、この経験を積むことで母子のコミュニケーションが深くなり、娘も少しずつ自己表現できるようになっています。
地道な作業だし、定型発達からすると10倍以上の労力なんだろうな、とは思うけれど、娘と私の成長曲線を考えると伸びしろがあって今後が楽しみです。
今大変だと悩んでいる方も、諦めなければ成長できます。時には逃げたくなることもあるし、息抜く必要もあるでしょう。でも、最終的に諦めずに前を向くことが大切なことは忘れないでください。
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