発達障害の小学生で友達いないケースは少なからずありますが、母親としては心配ですよね。
小学校の支援級在籍だと、交流授業の際にスムーズに活動できるよう、通常級の生徒が指名されてお世話するという「お世話係」制度があるんです。
でも、こういう制度って、上手くいかないこともあるんですよね。
ウチの娘が最初に通った小学校ではこのお世話係制度があり、娘はお世話係の子に様々な場面で面倒をみてもらっていたのですが、最終的に悲しい結末になってしまいました。
今回は、このお世話係に関して実際にあったこと、問題だなあと感じたことなどをお話しします。
発達障害の小学生に友達いないと心配?
一般大多数の考えからすると、友達がいないと心配になりますよね。でも、本人が気にしていなければ友達がいなくても過度に心配しなくて大丈夫です。
理由は以下の2つ。
・まだ友達に関心が向かない子供もいる。
親が心配して、誰かに無理に友達になってもらっても、相性が良くなければお互いにハッピーでないことがあります。
また、発達障害特性によっては情緒面の成長がゆっくりなので、誰かと一緒に遊んだりすることにまだ興味が向いていない可能性があります。そんな子供をクラスの子と関わらせようとすると逆に苦痛になってしまう可能性があるんですよね。
ウチの娘は小学校入学以降全くクラスに馴染めず、同じクラスの女の子に娘と関わってもらうようにしたのですが、残念なことに娘の心は打ち解けずに終わってしまいました。そして、その子にはとても可哀想なことをしたと感じてます。
なぜそうなったか、というと、お世話係という制度そのものに無理があったからなんですよね。
次に、お世話係の問題点についてお話しします。
発達障害児のお世話係の問題点とは?
「お世話係」は特別支援教育上の制度ではなく、単に「支援級の生徒」が困っている場面で助けてあげる係のことです。
発達障害児の当事者の母親としては、これを初めて知った時には「とても良い制度だなあ」と思ったものです。だって、娘は大勢いる中に一人で放り込まれたら、自分が何をすべきか全く理解できない状態だったので、クラスの親切な子が助けてくれたらすごく有難いことだったのです。そして、友達もいなかったので、友達になってくれる子がいるなんて有難いなあ・・・と感じてました。
でも、特別支援教育というのは、先生が支援が必要な子を個別に支援する制度なんですよね。サポートするための介助員もいるし。そのために、支援級の先生は担当する生徒数が最大8名という少人数なのです。そして、娘が最初に通った小学校では生徒5名に対して先生2名、介助員2名という手厚い体制でした。
また、交流が盛んだとしても、介助の手が回らなかったらそこまで交流級に行かせようとしなくてもいいのではないか、と今は感じてます。
(あの当時は、何が何でも交流級に行かせるのが基本スタンスの小学校だったので、そのやり方が当然のことだと思い込んでいました。)
お世話係制度を提案してきた支援級の担任曰く、
だったのです。そして、その当時の私はそれを真に受けていました。
でも、あれから約10年経った今思うのは、
発達障害児は「今自分が困っている」という認識がすごく苦手だし、
困っていると認識できたとしても、それを誰か第三者に伝えるのもすごく苦手。
約10年経った今でも娘は両方とも苦手だし、未だに分かっていない場面も多いのです。
・・・となると、困った時に周囲に伝えるスキルを身につけるなんて、小学校低学年の時点では不可能なんですよね。
ちなみに、今年16歳になる娘の現在のレベルは、信頼できる一部の大人とだけ心からの触れあい、会話を楽しめる程度です。
やっぱり、特別支援を受ける生徒の場合は、周囲の子がお世話するのでなく、先生がしっかり介助すべきだと思うのです。
発達障害児とお世話係の関わりについて
ウチの娘とお世話係の子がどのような関わりがあったかというと、
・家に遊びに来てもらう、遊びにいく
・授業は隣にしてもらい、分からないことを助けてもらう
・運動会のダンスでは隣で一緒に踊ってもらう(振りつけを見て真似させる目的)
・運動会のグループ競技で一緒にやってもらう
私の知っている限りではこんなことがありました。
ウチの娘の場合、娘はほとんど他人に興味を示さなかった子なので小学校入学以降、とくに自分から誰かに関わろうとはしませんでした。ですので、2年生になった時に支援級の担任が、
と言って、同級生で世話をやりたがる女の子に
と言って、いろんな場面で娘と関わるようにしてきました。
私も、当初はクラスで関わってくれる子がいることを喜び、これを機に小学校で楽しく過ごせるようになるといいな、と思っていたものです。
でも、発達障害児は心身の発達が大人の想像とは異なるんですよね。
お世話係は娘と幼稚園が一緒だったこともあったし、妹が欲しかったらしいので支援級の担任にお世話係を指名されてすごく喜んだそうです。そして、毎日すごく優しく接してくれていた様子でした。
また、お世話係の子に頼んで家に遊びに来てもらったり、その子の家に遊びに行ったりしました。
その時にはとても楽しく遊んでいたようです。我が家でも、娘の誕生日会をした時にケーキを一緒に飾りつけして楽しんだり切って食べたりして。
でも、じっくり観察していると、喜んでいるベクトルが、お世話係の子と娘とで微妙に違うんですよね。
例えば、
生クリームをスポンジケーキの上に絞り出して飾りつけする際には、純粋にその行為が初めてなのでドキドキワクワクしながら体験するのがお世話係(定型発達)の子。
一方、娘は、「お誕生日会」に「誰か」を招待したのが楽しいし、ケーキの飾りつけというイベントを企画したのが嬉しい。「誰か」と一緒にそのイベントをやれるのが嬉しい。でも、実際に遊ぶ場面ではその子のテンションについていけずに戸惑っている。2人の間の空気に壁がある、というような印象だったのです。
・・・というか、娘の場合、誰かと一緒に「誕生日会」をやれば満足であり、「お世話係の子」が来てくれて嬉しい、とか、「お世話係の子」にお祝いされて嬉しかった等という相手に対する思いが全く感じられませんでした。
当時の私は、母親として「子供に友達が一人もできないのは駄目だろう」という勘違いをしていたのです。社会性を身につけるためには友達と関わることが必要だと思い込んでいましたが、心が通じないと意味がないんですよね。
だから、友達作りは無理に大人があてがっても意味がない可能性があります。娘の場合みたいに、形だけで終わってしまうこともあるのです。
お世話係との関係破たん
最終的に、その子との関係が終わったのは娘が不登校になった時でした。
支援級の担任が、娘が再登校するようにと、お世話係の子や近所の子が毎日帰る際に我が家を訪問して様子を伺うよう指示したのです。
それで娘は学校がますます嫌になったし、家に来てインターホンを押すお世話係の子やその他の同級生に対してすごく嫌な思いを抱いたようです。
その2ヶ月後に引っ越しと転校を決めたのですが、その際にその子から手紙が来て、
という内容が書かれていたのですが、娘は全く読まず。そして、返事を出せずに終わりました。その子には悪いことをしたなあ、と感じたのですが。でも、娘も学校が嫌でたまらなかったので、仕方なかったんですよね。
無理して友達になってもらったけど、娘はその子のことが好きで友達になった訳ではなかったんですよね。
子供によって違うかもしれませんが、友達関係というのは、本当にお互いの気が合って楽しく過ごすことが重要なんだなあ、ということを痛感した出来事でした。
発達障害児をお世話係がお世話できない理由
子供は周囲の子供達の行動から学ぶことも多いです。ですので、子供が同級生の世話をするのが駄目とは言いません。
でも、発達障害特性によっては周囲の子供に興味がないケースもあるのです。その場合、周囲の行動を見ないから学べない。そうなると、お世話されても期待値まで引き上げることが難しいのですよね。
ウチの娘の問題は以下の3つでした。
・困っている状態だと気づく力が乏しい
・周囲に興味がないので皆が何をやっているか分からない
一番上だけならまだマシですが、2つ目、3つ目の問題があると様々な誤解が生じてしまいます。
こんな状態の娘が交流級で過ごすと、クラスで娘1人だけ浮きます。行動が異質だから。そして、周囲はそれに気づくけど、娘は気付かない。
ここで、お世話係が助けようと娘の行動を修正しようと親切でやってくれるのですが、娘にとっては何をされるのか分からず理解不能です。しかも、娘の場合は感覚過敏があるので余計に意味不明な刺激は不安感しかありません。
・・・こう書くと、娘のおバカ加減が分かるのですが、相手も娘も本当に不幸だったなあ、と感じます(泣)
だから、こういうケースではやはり先生や介助員が、娘に分かるような指示をする必要があるんですよね。それが特別支援教育なのだろうと思います。
まあ、正直言って、この小学校の先生方も娘の困り度を理解していなかったので、先生がやってもお世話係がやっても同じようなものだったのかもしれません。
さいごに
発達障害の特性は1人1人違うので、先生がその子に応じた支援をする必要があります。
それを、先生の手が足りないから周囲の子供に「お世話」させよう、というのは特別支援教育の趣旨に反しています。また、そういうやり方によって
と思われる可能性もあります。
お世話係というのは一見良いイメージがありますが、実際には同世代の子供が発達障害児の世話をするのはとても難しいです。
相手の世話をしながら自分のこともやるなんて、子供にとってはかなり負担になってしまいます。プレッシャーを感じる子もいるでしょう。
では、自分から志願してお世話係をする子はどうでしょうか。
本心から友達になりたいなら良いのです。対等の立場として。
でも、「障害があるから可哀想。だから助けてあげよう」という思いで志願するなら、関係が対等ではありません。これだと「友達」とは言えませんよね。
娘の場合も表面上は問題なさそうだったけど最後に別れも告げずに終わってしまったことを考えると、友達という対等な関係ではなかったんだろうな、と感じてます。
もちろん、大人が介入して友達になってもらい、そこから子供同士が楽しんで友達の輪が広がるケースもあるでしょう。社会性も広がり成長していけば良いですね。でも、定型発達なら上手くいくかもしれないけど、発達障害だと社会性の獲得が上手くいかないことが多いです。ウチの娘の場合には、社会性の獲得は友達付き合いでは得られませんでした。
ですので、子供自身が望むなら良いのですが、無理に友達を宛がおうとしたり、大勢の中に放り込むなどのことはしない方が良いのです。子供への支援は、親や大人の期待値で考えるのでなく、子供自身の願いを汲み取った上で行ってほしい、と願っています。
★同世代と遊べなかった娘ですが、社会性はその後少しずつ伸びています。
詳しい内容は以下の記事をご覧ください。
→発達障害で同年代と遊べない場合に社会性を育てるのは不可能?
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