支援級の後悔。小学校で味わった、皆と同じことができない苦しみとは

皆と一緒のことができないで悩む子供 学校・進路

ウチの娘は発達障害があり小学校では支援級に入学しましたが、学校生活がとても苦しいことばかりで後悔の連続でした。小学校では様々な問題が生じたり、「皆と同じことができない」という呪縛にも苦しみ、やる気を失い不登校に至りました。

今は、「特別支援教育を理解してない小学校もあるのでよく吟味しなきゃいけない」とか、「親は子供の特性をよく理解し、置かれている環境を出来る限り把握すべき」ということが分かるのですが、物事の渦中にいると焦って分からなくなってしまうものですね。

そこで今回は、これから小学校選びをするお母さん方への悪しき事例として、我が家で経験した、1校目における後悔した内容をまとめました。

★我が家で通った小学校は全部で3校あります。その概要はこちらの記事をご覧ください。
支援級の小学校生活ってどうなの?支援級判定でも普通級に行けるの?

スポンサーリンク

支援級の後悔 小学校1校目にして山ほど出た!

娘が通った1校目の小学校では毎日のように様々な問題が勃発して数えきれないほどの出来事がありました。それを大きく分けると、環境面・支援者・考え方の問題があります。

環境の問題

【後悔1】「支援級だから安心」じゃない!

前回の記事でご紹介しましたが、支援級は学校によって生徒規模、先生の人数(教職員か介助員かも含めて)や経験値やポテンシャル、支援級中心か交流学習が多いか等、様々な要素が異なります。

そして、そんな中で自分の子供が心穏やかに過ごせるかは、それぞれの要素に対しての相性などが複雑に絡んできます。つまり、支援級判定が出たから単純に「学区の支援級の小学校に通わせれば安心」ではないのですよね。

まず我が家では、ここで「教育委員会のような専門家が言うのだから、大丈夫だろう」と思ってしまったのが第一の失敗でした。(その当時、教育委員会は「専門家」だと思い込んでいたのも失敗です。)

支援者の問題

【後悔2】子供の「困った」を見逃す先生や専門家もいる!

感覚過敏を見逃す

そして、我が家の場合、娘の感覚過敏が相当ひどかったのですが、感覚過敏を指摘されたのは小学校入学後のことでした。3歳直前から療育センターに通っていたのですけど、療育センターでは一度も指摘されたことなく終了しました。

そして、小学校入学後に探し求めた高名な作業療法士に出会って初めて「娘ちゃんは感覚過敏がすごいねえ」と指摘されたのです。感覚過敏の影響で学校生活が上手くいかないということを知り、とても驚きました。

幼稚園で一人ポツンを見逃す

また、幼稚園時代は「発達障害があるので色々問題あるはずなんですけど・・・」と先生方に相談していましたが、一度も先生方から問題があったとは言われていませんでした。でも、幼稚園の授業参観に行くたびに娘だけ悪目立ちしているのです。

「ウチの子供だけなぜ一人ポツンとしていて、皆と一緒に行動できていないんだろう?先生方誰も指摘しないし・・。」と不思議に思っていたのですよね。

療育センターで出来ない状態を見逃す

そして、療育センターで1年間行ったグループ療育では、「ウチの子だけ行動が遅いし、出来ないこと多いし・・・」と気になっていたけど、療育担当が全然気にせず淡々と療育を行っていました。

(ちなみに、この療育センターでは何かもめ事があったのか、優秀なスタッフ数名がその年に退職するという不運な出来事があり、療育での内容についても相談できるスタッフがいませんでした。)

医師への相談がスルーされる

また、療育センターでは半年に1回医師の診察もあったのですが、その度に子供のことで「色々手を焼いて困っている」と伝えても、「今は大変な時期なんですねえ。そのうち変わるでしょう。」としか言われず。「細かいことはソーシャルワーカーに相談してください」で毎回終了していました。

また、ソーシャルワーカーに相談して、「一度幼稚園に様子を見に行ってみましょうか」「ぜひお願いします」という流れにはなっていたのに、一度も幼稚園に見に行ってもらえませんでした。

隣の芝生は青いのかと勘違いする

そんな訳で、幼稚園でも療育センターでも、誰も娘のことが問題だと指摘してこなかったので、
「親目線だと『隣の芝生が青く見える』状態なのかなあ・・・?」という思いもあり、問題をスルーしてしまっていたのです。実際には、朝の登園渋りは酷かったし、その他でもこだわり行動や奇怪な行動が多かったりして、毎日すごく大変で疲労困憊状態でしたが。

そして、娘の現状を私自身も把握できずに「先生も専門家も問題ないって言ってるんだし、小学校に入学したらきっと大丈夫よね?」と思いたかった、というか、今思うと現実逃避していたんですよね。

【後悔3】支援級経験があっても良い指導者とは限らない

小学校の1年目は「前年度に支援級担任だった先生」が通常級のクラス担任になりラッキーな一方、支援級担任は臨時採用で新卒22歳の女性でアンラッキー、と思っていました。

最初は支援級担任がすごく緊張していた様子だったし、新卒で臨時採用という話を聞き、ものすごく不安で、逆に通常級クラス担任の方が人当たりが良いし信頼できそうだな、という感じだったので色々頼りにして相談していました。

ですが、ある時に、通常級のクラス担任に、
「娘ちゃんってアスペルガー特性がすごく強いから、お母さんもホントに大変ですよね~」
と鬱陶しいような表情で言われたんですね。

その時に、「あれ?この先生、何かが違うぞ?」と思ったんです。確かに、私もすごく大変ではあるけど、もっと娘のことを考えてくれてもいいんじゃないか、と感じました。発達障害特性を敵視している、というか、「クラスの中で1人だけ指示通りに動けない、面倒くさい子」というニュアンスだったのです。

一方、臨時採用の支援級担任は、もう1人のベテラン主任に色々聞いて、実際に娘のことを見ながら不器用な感じだったけど、結構体当たりで頑張ってくれていました。最初は大丈夫かと疑問視していましたが、娘とのコミュニケーションを見ていると、一所懸命やってくれていたのがよく分かってきたし、1年間で別の学校に赴任していったけど、最後にはすごく感謝で終わりました。

この1年間の体験から、支援級の経験の有無よりも重要なのは、その先生が発達障害児に対してどう思うのか、特性をどう考えているのか、という部分だと感じたものです。

【後悔4】「やれば出来る」の考えで無理強いする先生もいる

世の中にはいろんな先生がいるものだ、もっと予防線を張っておかなきゃいけないのだ、と気づいた出来事がありました。

2年生になると通常級担任は20代男性に変わりました。この先生は特に支援級の経験はありません。でもまあ、優しく接してくれているようなので問題ないか、と心配していませんでした。

そんな中起こったのが、プールの授業における無理強いでした。「2年生なのに水に顔をつけられないなんておかしいだろう」「やれば出来るだろう」という考え方から、娘の頭を無理矢理水につけちゃったのです。

先生としては、「無理矢理」の行動ではなく、気軽な気持ちで娘に話しかけて頭に触ったらしいのですが、それはやはり男性側の見解であって、水への恐怖が取れない状態だった娘にとっては、大きな男の先生がいきなり自分の頭を触ってプールに顔を押し込められたのですからパニック状態になるのは当然で。

(娘の場合、コミュニケーションがきちんと取れない相手の場合。説明を理解するのにすごく時間がかかるようです。そのため、先生は説明したのでしょうけど、説明内容が娘には理解できていませんでした。)

その後、支援級の担任が対応して落ち着かせたようですが、すごく大変だったようです。そして、それ以降、学校のプールの授業に参加するのを嫌がるようになりましたし、私がプールに連れて行く際にも「水には絶対顔をつけない」という約束を娘にさせられました。(それまでの間も、顔をつけるのは無理と分かっていたのでやったことなかったのですが。)

そして、「無理矢理やらされた」ことで、クラス担任に対して一歩線を引いてしまいました。それまでは、優しそうな先生だという認識だったようですが、一度何か事件があると信頼関係が壊れてしまうのだなあ、というのを実感しました。

スポンサーリンク

【後悔5】自称「ベテラン」はアテにならない

入学前から支援級の主任として勤務していたベテラン先生は、
「アスペルガーは××なので、こうした方が良いんですよね」
などとアドバイスしてくれていたので、最初はすごく信頼していたのですが、2年生になりその先生が担任になってから、勉強でつまずいたり、通常級の教室に入れず廊下でボーッとしているのを放置したり、クラス担任にプールで無理強いさせられる、など様々な問題が勃発するようになり、支援級担任の対応は不適切ではないか、と感じることが増えていきました。

そして、2年生の2学期に九九が覚えられず困った時点で、その先生には
「娘ちゃんは勉強がすごく出来なくて、2学年くらい遅れる可能性があります」
と断言されてしまいました。(そこで「じゃあ、どうすれば良いのか」という提示がなかったので親子で途方に暮れてしまいました。)

そして、国語と算数は個別授業を支援級でやる、という方向になったのですが、その後の連絡帳を見ると、
「今日は××を勉強させようとしましたが、机に突っ伏して何もやろうとせずに終わりました」
という内容が増えていったんですよね。

この学校の支援級は人数が5名しかいなくて先生が2名と介助員1名なので人数に余裕があります。だから個別授業は先生と生徒が1対1で出来ることが多いのですが、なぜボーッとしたまま1時間放置して終了なんだろう、学校には何のために通うのだろう、という疑問が湧いてきました。

1対1で勉強しているはずなのに、「机に突っ伏して、というのはどういうことなんでしょうか」と聞いたら、「全然やる気がないようで・・・」で会話が終了しました。

『いや、ソレ、先生の授業が面白くないとか、理解できない、とかって話じゃないの?』と思うのですが、先生はそこの部分を全然気づいてくれませんでした。

そして、最終的に、この先生の対応が娘に合わないと思った決め手が遠足の際の出来事でした。

娘は聴覚過敏があり、駐車場の出庫音(機械音)が苦手で、その前を通ることができません。そこで、「遠足の際には迂回して欲しい」とお願いしていました。ただ、それだけだと学校に迷惑がかかるので、遠足の前には毎回家族で下見に行き、どこを通れば問題ないかをあらかじめ確認して先生に伝えていました。

そして、この遠足の際にも事前調査していたので駐車場については問題なかったようですが、毎回送り出す側も帰宅するまでは心配だし、娘自身も親から離れて怖い場所を通るという緊張で疲れるのですよね。

この遠足の日も、夕方帰ってくる頃には娘も相当疲労困憊だったようで、解散場所に到着した時には疲れて先生の指示が全然耳に入っていなかったようです。そして、迎えに行った母の顔を見るなり、「もう解散だ!」と思い込んでいたようで、私の方に走ってこようとするのを見たのです。でも、実際には全体解散しておらず、その後に全体で解散式を行った後に解散となったんですね。

で、先生からしてみると、「まだ解散式が終わってないのに、娘ちゃんが勝手に帰ろうとしている!」だったらしく、私の方に来ようとするのを引き留めて叱っていました。その時の先生の顔を見たら、阿修羅そのもの。すごい形相だったんです。

『うわー、すごい怒られている』って感じたのですが、後で先生からは「そんな怒っていませんから。でも、娘ちゃんがこちらの指示に従わずに勝手に帰ろうとしたので叱りました」と言われました。

その後、娘に対して、「先生からどういう指示が出ていたの?なぜ母の元に来ようとしたの?」と聞いたところ、「もう遠足が終わりだから帰って良いと思っていた」とのこと。「バスを降りる前に、バスを降りたら何をするかを●●先生(支援級担任)から言われた?」と聞いたのですが、何も言われなかった、とのこと。

もしかしたら支援級担任の指示が本当になかったのかもしれないし、聞いたけど聞き逃したのかもしれませんが、どちらにせよ、娘はもう遠足で疲れ切っていて指示を聞きとる力が無かったのだと思います。そして、先生が激昂したのは事実だけど、先生も自分がどう娘に対して接しているのかが無自覚なのだろう、という推測になりました。

そして、この件がすごく引っ掛かったことと、娘も先生に怒られたことが非常にショックだったので学校に行くのを嫌がるようになり、「それなら学校なんか行かなくてもいいよ」と思いが湧き、不登校するという結論に至ったのです。

ちなみに、不登校してから校長と面談したのですが、その際に「支援級の先生は超ベテランなので、担任を今更変更させるのは無理です」と言われたので、「ベテランって、どのくらい経験あるのですか?」と聞いたところ、「支援級3年目です」とのことで。
3年目ってベテランなんですかね・・・?まあ、年齢的に60歳近いおばちゃんだったので、年齢だけはベテランかもしれませんが。

そして、支援級担任とも色々話した時に「どの程度知識があるのか」を突っ込んで聞いたところ、
「発達障害の本は10冊程度も読んでいます」と言われました。

『え、、、たったそれだけ・・・?』と思ったんですけどね。(どんな本を読んだのか不明ですが、私もその当時発達障害や感覚統合などの本をかなり読み漁っていて、家に20~30冊はありました。)

世の中には支援級に長く勤務して、すごく子供のことを理解してくれる先生も多いと思います。でも、中には「発達障害というのはこういう特性だ」と一括りに考えて、子供の困っている姿に気づけない先生もいるので、親としては経験年数や年齢だけで「任せて安心」と決めつけずに話し合っていくことが重要でしょう。

「皆と同じことができない」呪縛に苦しむ

もう1つの大きな後悔は、学校と私の両方に存在する「考え方の歪み」に気づけなかったことです。

1校目の小学校の方針の根底にあるものは「皆と一緒のことができるように」という考え方でした。でも、発達障害児に「皆と一緒」を押し付けるのは無理難題なのですよね。そして、そうしてしまうと自己肯定感を下げるだけになってしまいます。でも、あの当時は「教育とは皆と同じことができるようになるべきだ」という思い込みが私の心の中にもあったし、間違っていることに気づけませんでした。

今はラーニングダイバーシティ(学びの多様性)という考え方が広まってきて、それと同時に1人1人の個性が尊重されるようになってきています。でも、数年前までは、「皆と一緒のことができるように」という考え方の学校が多かったのではないでしょうか。

そして、私達親世代はそういう考え方の中で育ってきたので、子供の発達障害という病名は受け入れることができても、実際の成長のアンバランスさに対しての受け入れが困難なケースが少なくないと思うのです。私も、子供の発達障害特性を本当の意味で受け入れてなかったことに気づいたのは、つい最近のことです。

考え方の歪みに気づけない原因は?

考え方の歪みに気づけないのは、当事者だからという理由もありますが、親自身の育った環境で誤った考え方が刷り込まれている可能性があるでしょう。

我が家の場合、私自身も学習障害傾向があります。そのせいで、幼少期から就職後までずっと様々なことで失敗したり、対人関係で躓いたり人から誤解されたりして非常に苦労してきました。その結果、「皆と一緒のことをできなきゃ恥ずかしい。馬鹿にされる。非難される。」という負の感情ばかり心の中に植えつけられ、「皆と一緒のことをできなきゃいけない」と思い込んでいたのです。

これが大きな間違いであり、ある種の「呪い」だと気づいたのはつい最近のことですが、それまでの間、自分自身が「皆と一緒じゃなきゃいけない」「できるのが当たり前」と思い込んでいたので、それができない娘を見るのが本当に辛かったし、娘に対してもすごいスパルタ的に接してしまうこともありました。

ですので、1校目の環境に対して、その当時は何も疑問を持たずに通学させてしまっていたのですが、今思うと、モロにこの考え方の学校だったんですよね。

勉強面での苦しみ

だからこそ、1校目の小学校では、支援級に入学しても「慣れたらどんどん一人で交流できるように、通常級で授業を受けられるようにしていく」のを目標としていました。そして、授業も通常級の子供達と同じようにこなして、宿題もすごくたくさん出されていました。

夏休みの宿題は、1日1枚算数プリントを解かないと夏休み終了までに課題が終わりません。漢字書き取りも毎日1ページ以上ノートに練習しなければなりません。だから毎日必死にやらせたものです。とにかく、課題の多い小学校だったんですよね。

ただ、漢字学習については娘の様子を見ると大変だったので、先生にお願いして減らしてもらいました。でも、「テストで点数取れないからもっと練習させてください」と催促されたので、やり方を工夫してあまり書かないで済むよう交渉したものです。

ちなみに、ウチの娘は体幹が弱くて筆圧も弱く、その結果、鉛筆をぎゅっと握らないと文字が書けないため、必要以上に肩や体全体に力を入れる癖がついてしまいましたし、それによって更に文字を書くスピードが遅すぎるんですね。

なので、宿題だけで1日2時間以上かかってしまい、それでも終わらず「どうしよう!?」と困ることが多かったのです。

そういう場面で、娘の「困った」状況に気づければ良かったのですが、私自身が「皆と同じにやらなきゃいけない」と思い込んでいたし、支援級の担任もそのあたりに鈍感で、通常級の子供達はこのくらいやるのだし、ということで娘自身の気持ちをくみ取ろうとはしなかったのです。

学校行事での苦しみ

また、学校行事についても「皆と一緒にできなきゃいけない」呪いのおかげで、かなり無理矢理参加させられていたようです。運動会では、ボール転がしの競技が娘だけ遅れて形にならない、という理由から、昼休みにメンバー4人だけ強制練習させられたこともありました。

同じグループの子供達は積極的に練習に参加してくれたようですが、娘はそれについていくのがすごく大変な様子でした。(娘は比較的体が大きい方なので、パワーのあるグループに入れられてしまっていたのです。)

運動会当日は、娘のグループが転がす番の時には先生も隣で伴走して応援してくれていたので、傍から見ると美談のような雰囲気だったんですけどね。今思うと、ありがた迷惑だったような気がしております。

ちなみに、この小学校の運動会は2回参加したけど、30度の炎天下の中疲労困憊になり、2回とも帰宅後かなり不機嫌になっていました。

友達関係での苦しみ

1校目では、「発達障害の子供が通常級で過ごすには、周りの子供達に助けを求めることが必要だから、自分で『助けて』と周囲の子供達に言えるようにならなきゃいけない」とベテラン先生に言われていました。

最初は「なるほど!そうなのか!」と思い込んでいましたが、今思うと、コレって間違った支援方法なのですよね。同世代の子供に助けを求めるって変ですよね。支援を求めるべきは先生だし、先生が支援すべきだと思うのです。特に、小学校低学年なら尚更。

そして、この小学校では、同世代の子供達にも「支援級の子供達を助けてあげてね」と先生がお願いしており、娘のお世話係として任命されたのが、幼稚園から同じクラスだった子供でした。

この子ともう1人に「娘ちゃんの友達になってね、遊びに行ってあげてね」という感じでお願いしており、その子供たちも「自分達が娘ちゃんのお世話をする!」という自負があったのか、本当に友達になりたかったのか、すごく親身に接してくれました。

その時には、すごくありがたい気持ちでいっぱいだったのですが、不登校になってから気持ちが一転しました。何故かというと、その子たちや近所の同級生が毎日放課後に家に様子を見に来て「ピンポーン」とインターホンを押すんですよ。ちなみに、これは支援級担任が子供達にそうお願いしたのだとか。

その際に、「不登校は良くないことです。仲良い友達がやさしく接したら学校に来たくなるだろうから、皆お願いね」などと言ったそうです。

これが逆効果になりました。ピンポーンと押された時の私と娘は、すごく土足で踏み込まれたような心境で、居留守を使ったのですが、「家を出て遠くに行きたい」という気持ちになったものです。その後、学校の対応に嫌気がさして転校するという手段に至りましたが、その際にその子供達には泣かれたり、がっかりされたらしいけど、娘はもうその子たちに二度と会いたくないと思ったそうです。

友達という存在は欲しいけど、先生に言われて仲良くするような関係というのは、本当の友達という認識にはならないのだなあと感じました。

さいごに

支援級は学校によって雰囲気ややり方など、全てが異なります。我が家の場合は、1校目の小学校では様々なことで苦しみました。

今は、様々な失敗の経験があったからこそ、娘にはどんな環境が良いのか、どんな先生なら合うのか等が分かってきたし、そこに至るための失敗経験だったのだという認識があります。でも、失敗することによって二次障害もあり、大変でした。

ですので、これから学校選びをする人には失敗ができるだけ少なく済むよう、子供の特性をよく理解して、学校の対応も表面上だけでなく先生方の考え方等をしっかり理解した上で選ぶようにしてほしい、と願っています。

★この失敗を活かして転校したつもりでしたが、2校目でも様々なつまずきがありました。
詳しくは、こちらの記事をご覧ください。
支援級が合わないので転校したけど再び後悔。2校目で学んだことは?

スポンサーリンク
この記事を書いた人
遅咲き星人の母

小学校と中学校で3回不登校した娘がいる主婦です。
現在は通信制高校のサポート校に通学しています。
娘は発達障害(IQ測定不能)のほか、母子分離障害、不安神経症、体幹の弱さ、感覚過敏(主に触覚過敏、嗅覚過敏、聴覚過敏)が酷くて集団活動が超苦手で勉強の遅れもあります。
でも、この数年間は支援者に恵まれ、親子共に少しずつ自己肯定感がアップしてきました。今は、家族とペット(セキセイインコ)が元気で楽しく過ごせる方法を日々考えながら、楽しく生活してます。

(詳しいことを知りたい場合は管理人名をクリックするとプロフィールページに移動します。)

遅咲き星人の母をフォローする
学校・進路
遅咲き星人の母をフォローする
発達障害グレーゾーン★自分探しの旅

コメント

タイトルとURLをコピーしました